2022.02.09
浦和Stories vol.8|書家・野竿進悟さんインタビュー
今回は、1月23日(日)に「浦和住宅展示場Miraizu」で開催された、書道パフォーマンスと書道教室の講師としてお招きした、書家の野竿進悟さんを直撃。
野竿さんは関西出身ですが、オーストラリアなどの海外で書道の指導をはじめ、個展やライブパフォーマンスの実績を重ねたのち、浦和に拠点を置いて活動しています。
国内外での活動を経て、現在、浦和エリアでどんなビジョンを持って活動しているのか、お話を伺いました。
INDEX
書道の才能が花開いていった熱中時代
―書道はいつから始めて、どんな経緯で仕事にするようになったのですか?
野竿:書道は3歳の頃から習っていますが、当時は本当に習字が大っ嫌いだったんです(笑)。それもあって、実は小学生6年生のときに一度やめています。中学からは音楽にハマってギターを弾いたり、オールジャンルで曲を作ったりするようになり、それは今も続けています。
高校生になるとアートに興味を持ち始めて、ふと書がかっこいいなと思えるようになって書道を再開しました。やがて高校で進学先を決めるタイミングになって、「書道の大学に行く」と書いてから後に引けなくなり、花園大学の日本文学科の書道コースに進学することになりました。
―その後、読売書法展での入選をはじめ、学生書道の登竜門とされる全国高校・大学生展で3年連続大賞を受賞し、めきめきと才能が開花していったわけですね。
野竿:大学に入ってみると、まわりは小さい頃からずっと書道を習ってきた上手な人ばかり。僕の場合、ブランクもあるし、負けたくない一心でかなり根詰めて練習に明け暮れましたね。当時、学校が終わった後に居酒屋でアルバイトをしていたのですが、ある日、店を掃除している間に倒れて肋骨を折ったこともありました。寝る間も惜しんで書道の練習をしていたので、うっかりバイト中に寝てしまったんです……(笑)。
第2の故郷・浦和から発信する日本カルチャー
―心から熱中するものができた瞬間ですね……!ハウジングステージでのライブパフォーマンスでは、「愛郷」という文字を書いていただきましたが、内側から湧きおこる言葉を書にすることが多いのですか?
野竿:僕の場合、意味よりも書いていて楽しい文字や字面が好きなんです。ただ展覧会で発表するときはひとつのテーマを決めて、そこから降りてくる文字を書にしていますね。
今回は浦和の展示場が会場だったので、私自身、今では第2の故郷のように思う浦和に里帰りする思いを込めて書きました。
―大阪やオーストラリアといった国内外で学校を中心に書の指導に注力してきた野竿さんですが、子どもたちに書を教える意義についてどのように考えていますか?
野竿:文字や言葉は意思伝達手段のひとつであり、それを教えることは基本です。日本の文化でもある言葉を伝えていくことは、国益にもつながります。そういう意味でもとても大事なことだと考えています。
子どもたちに教えるなかで、シンプルに上手に書けるようになれば嬉しいです。そして子どもたちそれぞれの日々の成長を見ていると、僕にも新しい発見があって、自分自身も成長できるんです。
ハウジングステージでのワークショップでも、思いきり紙から文字がはみ出ているお子さんもなかにはいましたが、そんなことは全然問題ありません。コンクールに入選を狙うとなると話は違いますが、指導する上で、できるだけ子どもたちにのびのびと書に親しんでもらうことをモットーとしています。
浦和の地で、日本カルチャーを伝える人材を輩出
―浦和に拠点を置くようになった経緯は?
野竿:実は上京して半年間は営業で関東各地をまわり、都内も含め教室の拠点を検討しました。都内は当然、習い事需要もあって大きな商圏ではありますが、やりたいこととの費用対効果を考えると難しかったのです。
その点、埼玉県は100年人口が減らず唯一増加している都市といわれ、安定した経済圏があります。とくに浦和エリアは近年、共働きの若い世帯も増えて、世帯収入も高く、文教都市とあって、教育水準も高い。さらに今後、浦和駅西口は大規模開発が進むなど、これからますます発展する街。武蔵浦和エリアも含め、これからが楽しみな街だと感じています。
―国内外で子どもたちに指導してきたなかで、浦和エリアの子どもたちの印象について教えてください。
野竿:どうしても関西と比べてしまうんですけど、浦和の子どもたちはみんないい子ですね。関西の子どもたちの場合、ハチャメチャで、「みんな、いうこと聞いて!」という場面が多かった印象です(笑)。ただ、どっちの子どもも好きです。
―野竿さんはさいたま市に拠点を移してから、書のアートパフォーマンス集団「墨蜂会」を浦和エリアで立ち上げました。一方で、さいたま市は名品盆栽の聖地でもあり、さいたま市から世界に日本文化を発信しています。同じくさいたま市から日本文化を発信する上で、浦和エリアの持つ可能性をどのように感じていますか?
野竿:さいたま市は税収も豊富であらゆる施設が揃っていることから、学ぶ場に恵まれているエリアです。そもそも文教都市という土地柄もあって、これからますますいろんなジャンルの学び場が増えていくと考えています。
一方で、デジタル・情報化社会に生きる現代の子どもたちは疲れているようにも見えます。「昔の子どもたちの方がもっとのびのびしていた」という声もよく聞きますよね。そうしたなかで、息抜きしつつ、没頭できるアナログな習字は今を生きる子どもたちにこそ必要な習い事だと考えています。文字を書くことはもっともシンプルだけど、脳を活性化させるともいわれていますし。
AIが進化する将来、なくなるといわれている職業がいくつかあるなかで、アナログではありますが、付加価値を付けながら浦和エリアから世界に向けて発信し、子どもたちとともに進化していけたらと思います。
―浦和エリアで教える子どもたちに、将来期待することはありますか?
野竿:僕自身もそうだったのですが、誇れる故郷と文化を持ちながら海外に出て視野を広げて経験値を上げていってほしいですね。そうすることで帰国したときに、あらためて故郷のよさを実感できると思うんです。
―ライブパフォーマンスで書いていただいた「愛郷」という言葉にもつながりますね。最後に、今後、浦和を拠点に注力していきたいビジョンについて教えてください。
野竿:一番は教育に専念していきたいです。書道家を目指す子どもたちを指導して、国内はもちろん、海外でも活躍できる人材を輩出していけたらと思います。現在、“チーム野竿”としては、大阪にも弟子が1人いるのですが、浦和から発信する書道のアートパフォーマンス集団を育成していけたら理想的です。
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実は埼玉県は、戦後直後から書写教育に力を入れてきた歴史があります。野竿さんいわく、そのことを後から知ったということですが、同エリアに書を教える拠点を置いたのはまぎれもなくご縁でしょう。
日本の言語は日本文化の根源といっても過言ではありません。そんな日本カルチャーを今後、世界に発信できる人材が、浦和エリアから数多く輩出される未来に期待大です!
野竿先生の教室はこちらをチェック。
PROFILE
書家/野竿進悟さん
次年、秀逸賞を受賞。大学在学中に学生の登竜門とされる全国高校・大学生展にて3年連続大賞を受賞。22歳の頃松竹京都映画撮影所にて映画『イヌとよばれた男』で草なぎ剛氏に書指導、代筆を担当。岡田准一主演『花よりもなほ』など数多くの作品で書指導を担当した。大学卒業後、エンターテイメントビザを取得しオーストラリアメルボルンへ。2006年、日豪交流年企画の認定を受けた個展「母体~mother s body」を開催。2007年、メルボルン国総領事館にて野竿作品展を開催。現地の小・中・高校約80校をまわり書指導、ライブパフォーマンスを開催。帰国後は大阪府内の高校で書道教員として勤務。2011年年10月、裏千家淡交会メルボルン支部20周年茶会の題字を担当。現在、関東に活動の場を移し、「墨蜂会」を設立して埼玉・東京を中心に教室を展開。
写真/織田桂子 取材・文・編集/山口瑠美子(ピースなじかん編集部/ファジー・アド・オフィス)